「振り返れば、あれは確かにゴールデンパスだった──」
そう思える出来事が、誰の人生にもあるのかもしれません。
私自身もそんな体験があります。
それは、今からちょうど5年前、2016年4月のことでした。
午前中の仕事を終え、外で昼食をとっていたとき、突然、左手に強烈なしびれが走って、気分が悪くなり、何か尋常ではないことが起こっていると感じて、急いで店の外に出ました。
しかし、その途端、立っていることができなくなり、道ばたに崩れ落ちてしまいました。
あいにく人通りも少なく、声をかけてくれる人はいません。
仕方なく、倒れたまま右手で携帯を出し、おぼつかない手つきで何とか119をコール。しばらくして、救急車が到着し、私は近隣の救急病院に運び込まれました。車中で、救急隊の人たちが「呼吸が止まるかもしれないから、気をつけろ!」と話していたのを覚えています。
脳梗塞であることがわかり、病院のドクターからこう尋ねられました。
「血栓を溶かすtPAという治療があります。時間に限りがありますが、今ならできます。うまくいけば後遺症はほとんど残りません。ただ、万が一、血管に傷がある場合は、くも膜下出血を起こす可能性がありますが、現時点では、tPAをやめたほうがよい理由は見つかりません。どうしますか?」
私はとっさに「お願いします」と答えました。にわかに医療スタッフが動き出します。
しかし、「……ちょっと待てよ。もし、くも膜下出血になったら死ぬかもしれないということ? だとしたら、自分1人で判断はできない」と思い直し、呂律も回らない中、「ちょっと待ってください。相談したい人がいるので、連絡してもいいですか?」と尋ねると、ドクターは、「わかりました。ただ、やるなら早いほうがよいです。10分だけ待ちます」。
そこで私は、当時、編集を担当していた『運命の逆転』の著者、高橋先生に連絡を取りました。先生のお返事は、「tPAはやめたほうがいいと思う」。
頭も回らなくなっていた私は、「先生がおっしゃるならそうしよう」と思い、ドクターに「やめます」と伝えると、今にもtPAを始めようと待ち構えていた医療スタッフの緊張が一気に緩みました。
この選択は、その後の道行きを大きく左右するものであったことが、数日後に判明します。
そのときはわからなかったのですが、後日の精密検査で脳動脈が解離していることがわかり、ドクターから、「いやあ、あのとき、tPAをやらなくてよかったかもしれませんね。やっていたら、血が広がって大変なことになったかもしれない」と言われました。
なぜ先生が瞬時にこのような判断をされたのか、計り知ることはできません。
でも、きっとそれは「未来の記憶」であったのだと思います。
その後、私は後遺症を背負うことになり、立つことも歩くこともできず、寝たきりになりました。そればかりか、激しいめまい、吐き気、複視(物が二重に見える)、右半身の温痛覚まひ、左半身の運動障害、さらに嚥下障害で、食べることも水を飲むこともできませんでした。
歩くリハビリを始めたとき、どんなに必死に頑張っても身体のバランスが取れず、何度も倒れてしまう……。疲労困憊し、思わず主治医に「この先、歩けるようになるんでしょうか?」と尋ねると、「うーん、それはわかりません。でも、少しずつは良くなりますよ」との返答。
病室の窓際をハトがテクテク歩いているのを見て、「すごいなあ。2本足で歩いている。自分にはとてもできない」と思ったこともあります。
ただ、しばらくすると、両手の指先だけは動くようになり、携帯メールやパソコンはかろうじて打つことができたのです。
そんなとき、先生から「大丈夫よ。必ず元気になるから。私にはわかる」と連絡を頂きました。私は、「こんな身体のどこが大丈夫なのだろう?」と思いつつ、そのことを信じてリハビリに励むことになりました。
一進一退の病状に一喜一憂する私に、先生は、魂と身体の関係、細胞には意識があって対話することができること、光の瞑想の仕方、さらにリハビリの留意点に至るまで、日々、多くのアドバイスを下さいました。
途中、肺炎で高熱が出たときも、原因不明の重度の黄疸に冒されたときも、事態をどう受けとめ、どう判断し、医療スタッフの方々にどのように関わればよいのか、具体的に導いてくださったのです。
いくつもの岐路が現れ、その1つ1つに判断と選択を重ねる中で、思いもかけない道が開かれていったのは、先生の同伴と導きのおかげ以外の何ものでもありません。
3カ月後、私は、担当医やリハビリスタッフが驚くほどの回復を遂げ、退院し、多少の後遺症は残ったものの、職場復帰を果たし、健常な人と同じ生活ができるようになりました。
この期間、身体的な回復とともに、人生観が根底から変わるほどの変化がありました。
魂が肉体を持ってこの世界を生きるということが、どれほどの奇跡であるのか。
この小さな自分は、いったいどれほどの力によって生かされているのだろうか。
そして、数え切れないほど多くの人が生きているこの世界は、なんと美しく、尊いものなのか──。
言葉にならない実感が身を切るように迫ってきて、事あるごとに涙があふれ、今まで何もわかっていなかった自分の愚かさがいっそう身に沁みました。日々、大いなる存在・神に感謝し、祈らずにはいられませんでした。
振り返れば、この期間、まさに世界からの贈り物として、ゴールデンパスを開いていただいたとしか思えません。
『ゴールデンパス』にはこのように書かれています。
「この本を手にしてくださっているあなたの人生にも、ゴールデンパスはあります。
あなたが今、あなたとして生きているのは、奇跡のようなひとすじの道を歩んできたからではないでしょうか。数え切れないほどの岐路と選択が1つでも違っていたら、今とはまったく異なる現実が現れているに違いありません。
あなたがあなたであるために、そこには唯一の行路があったということです。
そして、これからもまた、あなたはゴールデンパスを歩むことができるのです」(P67-68)
ゴールデンパスは1つで終わりではない。これからも、新たなゴールデンパスにチャレンジしてゆきたいと思っています。
(編集部N)
『ゴールデンパス──絶体絶命の中に開かれる奇跡の道』(高橋佳子・著)
四六判並製 定価 1,980円(税込)