今年の7月、物理学者の益川敏英さんが亡くなりました。
益川さんは、後輩の研究者・小林誠さんと共に提唱した「小林・益川理論」で、2008年、ノーベル物理学賞を受賞しています。
この理論は、「CP対称性の破れ」(ビッグバンが起こったとき、物質をつくる基本構造である粒子と、それと反対の性質をもつ反粒子が同じ数つくられ、2つはぶつかり合って消えていったが、わずかに消え残った粒子があり[対称性のやぶれ]、この宇宙が生まれた)が存在するためには、宇宙の根源粒子であるクォークが6個あることを予言したものですが、専門外の私たちがその意味を理解するのは容易ではありません(私も、クォークという、原子よりもはるかに小さい極限のミクロの世界を想像するだけで頭がクラクラしてしまいます)。
益川さんたちがこの理論を論文で発表したのは1973年。当時、クォークは3種類存在していると考えられていた中で、6種類もあるという常識を超えた予言に、研究者たちは騒然となりました。その後、長年にわたって実証実験が繰り返された結果、2001年、その予言が正しいことが証明されたのです。
「益川・小林理論」は、この宇宙が生まれ、今も存在しているのは「CP対称性の破れ」があるからであり、その破れが生まれるには6個のクォークが必要である――つまり、宇宙創成に関わるミクロの秘密を預言したもの、と言うことができると思います。
その益川さんは、宗教について、iPS細胞をつくった山中伸弥さんとの対談で、以下のように語っています。
益川:ところで、山中先生は特に宗教を意識されたことはありませんか。
山中:苦しいときの神頼みはよくします(笑)。研究に行き詰まると、「神様、助けて下さい」って。私、そういうのは節操がないんです(笑)。生物学をやっていると、それこそ、「これは神様にしかできない」と思うようなことがたくさんありますから。
益川:……悪いことに、僕は無宗教なんです。それも、ただの無宗教じゃなくて、「積極的無宗教」。
山中:それは、宗教を信じないということですか。
益川:いや、「信じない」のではなく、「信じている人をやめさせる」ほう(笑)。僕が積極的無宗教なのは、「神」というのが、自然法則を説明するときによく出てくるからです。たとえば、「雪の結晶には1つとして同じものがない。実に不思議だ。なぜこんなものが存在するんだろう」と誰かが言ったとき、「神様がお作りになったのだ」と、神を引き合いに出して説明するのが、いちばん手っ取り早い。
山中:そうですね。
益川:……僕が言う積極的無宗教とは、「雪の結晶は神様がお作りになったのだ」と言う人たちに対して、「その答えを神様に求めなきゃいかんほど、あなたの理性は単純なのですか? それぐらいの答えだったら、いくらでも考えられますよ」と、異議を申し立てることなのです。僕のような物理屋から見ると、宗教がいちばん重要視するのは、人々を入信させるという「結果」であるように思えます。つまり、「論証の過程」は必要とされていない。これは近代科学の考え方に真っ向から反します。別の言い方をすれば、自分たちの宗教を信じさせ、入信させるためには、いくらでも嘘を言っていい、ということです。僕はすべての宗教を検証したわけではないけれど、確かに宗教というのは、おおむね、嘘を言っています。
ここで、益川さんは自らが積極的無宗教だとおっしゃっていますが、それは信仰を否定するという意味ではなく、真実を実証的に追究すべき科学者が、その責務を怠って安易に神にすがる姿勢への警告のように思われます。
同時に、この対話から強く感じるのは、宗教の凋落と低迷です。
確かに、数年前『宗教消滅』というような本が出たり、コロナ禍で宗教が無力であることを感じさせる報道があったり、現代の宗教が衰退の一途をたどっていることは否めません。
しかし、コロナ禍の中で、多くの人々が心の危機に直面し、より本質的な拠りどころを求めて始めている今だからこそ、「真の宗教」が切実に求められているのではないか、と思います。
『ゴールデンパス』の著者、高橋佳子先生は、「宗教の使命は、人間の中心軸(魂)を奪回し、光と闇の世界に立ち向かわせること」とおっしゃり、先生が主催されるGLAでは、魂の存在を経験し、内なる光と闇を弁別して、現実的な問題を解決してゆく人々が次々に生まれています。
真の宗教とは、何とパワフルなのでしょうか!
内なる魂を取り戻し、心を確立して、世界問題の解決にも力を発揮してゆく――そのような21世紀の要請に応える宗教が復活する時代を願わずにはいられません。
(編集部N)
『ゴールデンパス──絶体絶命の中に開かれる奇跡の道』(高橋佳子・著)
四六判並製 定価 1,980円(税込)