「その魂は、地上との訣別の時を必死に耐えて待っていました。1431年5月30日。北フランスのルーアンの城壁近くの広場に、新しくつくられた火刑台は、魔女として認定された1人の少女を今にも呑み込もうとしていました。……この日、彼女の火刑を見ようと集まった人々は、1万人にも及んだと言われています。そして、この少女の涙、祈りと懇願、叫びを目の当たりにした群衆の何人もが一緒に涙を流し、あるいは居たたまれず、その場を立ち去ったと言います」(高橋佳子著『二千年の祈り』より)
今日5月30日は、ジャンヌ・ダルクが火刑に処された日です。
今からおよそ700年前、中世ヨーロッパではイギリスとフランスの百年戦争が繰り広げられ、フランス軍は連戦連敗。フランス北部はイギリス軍によって蹂躙され、人々は大変な混乱と災難に見舞われていました。そこに彗星のごとく姿を現し、フランス軍を率いて奇跡の逆転勝利へと導き、故国を救ったジャンヌ──。
しかし、ジャンヌは最初からそのような圧倒的な指導力を示していたわけではありませんでした。
「ジャンヌは気立てのよい、優しい娘であったと村人たちは語っています。幼い頃から教会に足しげく通い、しかしその信心深さを人に指摘されるのを恥ずかしがるような子でした。家事の手伝いをしたり、糸を紡いだり、ときには父親の羊の番をすることもあったようです。つまり、村の他の子どもたちと同じように暮らしているように見えたということです。ただ、ジャンヌの魂は、計り知れない時代の圧力を誰よりも深く感受していたのです」(同書より)
そして、13歳の頃、村の人々のことを心配し、毎日のように祈り続けていたある夏の昼、彼女は「声」を聴くのです。
「ジャンヌよ、フランスの王を助けに行きなさい。そうすればお前は王にその王国を返してあげられるのだ」
そこには、輝く光の中に、翼を持った大天使ミカエルの姿があったと言います。
「まだ幼い少女の魂に託された使命の重さは、言葉にしようがありません。そして、その『声』が意味していたことは、彼女を育んでいた一切の人々や環境との訣別でした。当然、何を考えているのかと家族は反対し、あらゆる手段を講じて──婚約者の若者に裁判所に訴えまでさせて、彼女を取り戻そうとしました。しかし、ジャンヌは、それに屈することはできませんでした。愛すべき家族との断絶──。それを幼い魂はどれほどの痛みをもって耐えたのでしょうか」(同書より)
そして、自らの使命を自覚したジャンヌは、17歳のとき、ただ1人彼女の側についてくれた伯父と一緒に旅立つのです。
「その後のジャンヌの活躍は見事としか言いようがありません。神と共に生きるジャンヌを証すかのように現実となった奇蹟でした。いいえ、誰よりも切実に、そして純粋に人々と祖国の苦難を思い、神の声に応えることに一途だったジャンヌの心と姿に打たれ、共感し、立ち上がった多くの兵士たちの、一丸となった力がそれを起こしていたのです。白い甲冑に身を包んだ彼女の姿に、人々は自らの希望を蘇らせ、信仰を一層確かにしました」(同書より)
ジャンヌは、味方でさえ驚くほどの勝利を次々に収め、ついに王太子シャルルをランス(歴代フランス国王の戴冠式が行われた地)での聖別・戴冠によって正式なフランス国王にさせ、祖国の人々の誇りと希望を取り戻したのです。
農村に生まれ、知識も武術も権威もない、まだ10代の普通の少女が、国家の軍隊を指揮し、圧倒的な勝利をもたらしてしまう──。どうしてそんなことができたのか。
『二千年の祈り』には、このように記されています。
「ジャンヌが示す切実な危機感、そして1点の曇りもない神と1つになった信仰、不純なものがまったく入り込まない意志──。それ自体、神々しい光を放ってやまないものだったに違いありません。獣のように制御の利かない荒くれ男たちの中にジャンヌは入ってゆき、まず彼らに彼らが連れていた娼婦たちを解き放って告解するように求めました。さらにロワール川沿いに露天の祭壇をしつらえ、ジャンヌは自らが聖体拝領(イエスの血と肉を表す葡萄酒とパンを分かち合う儀式)し、彼らもそうしたのです。すると、いつの間にか、荒みが消え、若返り、彼らはまるで子どものようになって希望を取り戻していたと言います。
彼らは、ジャンヌと出会い、ジャンヌを知ることによって、自らの新しい人生と出会っていました。ジャンヌの戦い方の根幹とは、まさにそのようなものだったのではないかと私は思うのです」(同書より)
いかがでしょうか。
ジャンヌは何のために戦ったのか──その目的は、相手を打ちのめしたり、武勲を立てたりすることではなく、故国の人々を救い、誇りと平和を取り戻すことだった。そして何よりも、1人ひとりの人間の魂の目覚め、人生の再生を願っていたのではないでしょうか。
当初、ジャンヌの目の前にあった現実は、誰もが絶望し、どうにもならないとあきらめるほかないような混乱と苦難でした。しかし、彼女は、その現実を可能性と制約をはらんだ「カオス」と受けとめ(もちろんカオスという言葉は知らなくても)、そこに内在する青写真・目的地に圧倒的なリアリティと確信を抱き、自らの全存在を賭けてその具現に邁進していった──。
まさに、ゴールデンパスをつくる3つのステップ──①目の前の事態をカオスと捉える、②到達点・目的地を明らかにする、③出発地から目的地へと運ぶ力を生み出す──を、その歩みの中に見出すことができるのではないか、と思うのです。
『二千年の祈り』を読んでいると、まるで時空を超えてジャンヌという人間がそこに現れたかのような、リアルな実在感を感じます。
彼女の命日の今日、歴史上の人物としてではなく、自らと同じ1人の人間として受けとめ、「ジャンヌは今、私に何を語りかけているのだろうか」──と心の中で対話するひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。700年の歳月を超えて、ゴールデンパスを歩もうとする私たちに大切なことを教えてくれるかもしれません。
(編集部N)
『ゴールデンパス──絶体絶命の中に開かれる奇跡の道』(高橋佳子・著)
四六判並製 定価 1,980円(税込)