明後日12月8日は、太平洋戦争が勃発した日。
今から80年前の1941(昭和16)年、この日の未明、日本海軍はハワイ州真珠湾にあるアメリカの海軍基地に奇襲攻撃を行い、甚大な被害を与えました。
午前7時、ラジオから流れる声――。
「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部12月8日午前6時発表、帝国陸海軍は本8日未明西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。大本営陸海軍部12月8日午前6時発表、帝国陸海軍は本8日未明西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。なお今後、重要な放送があるかも知れませんから、聴取者の皆様にはどうかラジオのスイッチをお切りにならないようお願いします」
繰り返される言葉から緊迫感が伝わってきます。
当時の日本人は、このニュースをどのように受けとめたのでしょうか。
有識者や知識人の反応は実に様々ですが、そこには4つのタイプ(煩悩)が現れていることがわかります。
まずは、快・暴流から。
▶「昨日、日曜ヨリ 帝国ハ米英ニタイシテ 戦闘ヲ開始シタ。老生の紅血躍動!」(斎藤茂吉、歌人)
▶「ばんざあいと大声で叫びながら駆け出したいような衝動も受けた」(新美南吉、児童文学作家)
▶「ものすごく解放感がありました。パーッと天地が開けたほどの解放感でした」(吉本隆明、思想家)
▶「我等は光輝ある祖国に歴史にさらに光輝を加える光栄を今こそ担ったのだ」(徳富蘇峰、ジャーナリスト)
▶「生きているうちにまだこんな嬉しい、こんな痛快な、こんなめでたい目に遭えるとは思わなかった。……ともかくも万歳を叫ばずにはいられない」(長与善郎、作家)
次は苦・暴流です。
▶「勝利は、日本民族にとって実に長いあいだの夢であったと思う。すなわち、かつてペルリによって武力的に開国を迫られた我が国の、これこそ最初にして最大の苛烈極まる返答であり復讐だったのである。維新以来我ら祖先の抱いた無念の思いを、一挙にして晴らすべきときが来たのである」(亀井勝一郎、作家)
苦・衰退はどうでしょうか。
▶「まさか――私はガク然とした。日本は独伊と同盟を結んでいた。しかしそれは米英などとのさまざまな交渉を有利に展開するためのかけひきであって、強硬なのも結局ポーズだけかと思っていたのに。もう入隊は決まっている。ああ、オレは間違いなく死ぬんだ」(岡本太郎、芸術家)
▶「明治37年2月6日の、ロシアに対する宣戦布告は、上野の梅川楼で催された寺崎広業の送別会席上で、号外の音を聞いて知ったのであったが、あの時は、宴会の余興に延寿太夫の清元なんか聞いて、開戦の知らせもロマンチックな気持がしたものだ。しかし、今回はそうではなかった。陰惨な感じに襲われた」(正宗白鳥、作家)
また、快・衰退の傾向の方もいます。
▶「いい天気といえば12月8日の天気もすばらしかった。その朝はラジオの臨時ニュースで目が覚めた。床の中でさあ大変だ、さあ大変だと怒鳴ると、前夜から泊まっていた山形の兄がハハハと笑った。起きてみるとめずらしく晴れ渡った空だった。前夜まで、狂いやすいはかりで進退二つの未知を量るようにして苛々していた心も、すっきりと澄んで、妙に楽天的に落ち着いていた」(阿部六郎、ドイツ文学者)
▶「日米ついに開戦。風呂へ入る。ラジオが盛んに軍歌を放送している。……それから3時まで待たされ、3時から支度して芝居小屋のセットに入ったら、しばらくして中止となる、ナンだい全く」(古川ラッパ、コメディアン)
いかがでしょうか。
当時の人々の反応でもっとも多かったのは、快・暴流であったように思われます。
今の私たちからすれば、考えられないような反応ですが、当時は、それが「常識的」で「正しい」反応だったはずです。時代から1人ひとりに流れ込む「知」の恐ろしさを思わずにはいられません。
そして今、時代は大きく変わり、私たちは、新型コロナのパンデミックや環境破壊など、かつて人類が経験したことのない「世界問題」に直面しています。その「世界問題」に対しても、80年前と同じように4つの煩悩による反応(今回はコロナ禍で苦・衰退に陥らざるを得ない人が多いように思われます)があふれています。
しかし、それは、来るべき魂の時代の夜明け前に違いありません。
その闇夜の中で、私たちは、4つの煩悩を乗り越え、光り輝くひとすじのゴールデンパスを歩むことへと誘われていること――まさに奇跡のような恩恵ではないでしょうか。
※上記の声は『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』(方丈社)より引用。
(編集部N)
『ゴールデンパス──絶体絶命の中に開かれる奇跡の道』(高橋佳子・著)
四六判並製 定価 1,980円(税込)