ゴールデンパスを開くためには、宇宙・自然の法則と共振することが必要です。
その事例として紹介されている雨乞い師のエピソードが心に残っている方もいらっしゃるのではないでしょうか(『ゴールデンパス』p48)。
小屋にこもってタオと共振し、日照りが続く村に大雪を降らせた雨乞い師――。
その姿を思うとき、もう1人の人物が思い出されます。
今からおよそ700年前、鎌倉時代に生きた北条時宗です。
よく知られているように、当時、わが国は、ユーラシア大陸を制覇していた大国、蒙古(元)から2度の襲来を受けました。
最初は1274年。3万人900艘の船団の襲来で幕府は苦境に立たされますが、激しい暴風雨によって元軍は撤退。その7年後、元軍は、14万人4000艘の軍団(当時の世界史上最大規模)を率いて博多湾に侵入してきます。このときは、日本も湾岸に石の防塁を築き、徹底抗戦を行う中、ある夜、再び暴風雨が起こり、翌朝、元軍は海の藻屑と消えてしまいました。
この国難を、時の執権として一身に背負った時宗には、ある人物との決定的な出会いがありました。
宋から来日した無学祖元という禅僧です。
『天の響 地の物語』(高橋佳子著)の中では、このように描かれています。
1281年の年初、時宗が祖元のもとに参じた時、祖元は「莫妄想」(まくもうぞう)の三字を大書して掲げたと言います。
妄想する莫(なか)れ――。突然のことにハッとする想いもあったでしょう。その言葉そのものの意味はわかっても、一体その真意がどこにあるのかをはかりかねて時宗は師に尋ねます。すると祖元は、「この春から夏にかけて、博多が危ない。ただし不日静謐を見るであろう。公よ、ただ莫妄想、莫妄想」――大きな危機が訪れるが、やがて再び静かになるであろう。だから、決して妄想する莫れ――と言うのです。師の言葉に時宗の緊張が走りました。7年前のことが一瞬に蘇ったでしょう。時宗は師が放った「莫妄想」の言葉を拠りどころに、それからの日々を送ったのではないでしょうか。
当時の元と日本の国力、兵力の違いは歴然としていました。どうしたら守れるのか、確かな方法など考えようもありませんでした。かといってむざむざと降参して国を明け渡すわけにはいかないのは当然です。一国の命運を背負って時宗は、迫り来る時に対峙していました。
眠れぬ夜も数え切れなかったでしょう。「莫妄想……莫妄想」、その三文字は時宗にとって命を賭けた公案となったのです。
果たして、その年の5月、元の大軍が博多湾に押し寄せてきました。
時宗は甲冑を着けると、師の許に向かい、師の祖元に「大事到来せり(ついにやってきました)」と告げます。すると祖元は静かに尋ねます「如何が向前(こうぜん)せむとす(どのように向かわれるおつもりか)」
その時、時宗は全身全霊をこめて「喝」と叫んだと言います。この一喝を聞いた祖元は言いました。
「あなたは真の獅子児だ、立派な獅子吼である。そのまままっすぐに突き進んで、決して後を振り返らないで下さい」と。
時宗は鎌倉にあって、考え得る方策を尽くし、手立てを配した上で、自らの血で経文を書き上げ一心に祈り続けたのです。ただ、手段を講じるのでもなく、ただ祈るのでもない。
とうてい背負い切れないような試練を突きつけられた時宗が示したのは、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉そのものの姿だったように思います。この時宗の行動がもたらしたものは、決して小さなものではなかったでしょう。具体的方策以上に時宗に漲った気配、祈りが引き寄せた現実があったように思うのです。
(高橋佳子著『天の響 地の物語』P73~75)
いかがでしょうか。
できる限りのことをやり尽くしたうえで、一心に祈り続け、天に托身する――。
そのとき、時宗の心は、あの雨乞い師と同じようにタオと共振し、暴風雨を呼び起こしたのかもしれません。
ここにも、ゴールデンパスを歩む秘密の一端が示されているように感じます。
(編集部N)
『ゴールデンパス──絶体絶命の中に開かれる奇跡の道』(高橋佳子・著)
四六判並製 定価 1,980円(税込)