先日、グラハム・ハンコック著『人類前史──失われた文明の鍵はアメリカ大陸にあった』という本を読みました。
ハンコックは、世界各地の遺跡の調査研究によって、遙かな過去、人類の歴史には記録されていない高度な文明が存在したと提唱しているイギリスのベストセラー作家です。
この本では、北米の古代遺跡やアマゾンの奥地に、古代エジプト、マヤ、チベットなどの遺跡と驚くべき類似性と共通点が見られることが書かれています。たとえば、
「古代エジプトと古代メキシコは共に、より古い宇宙論的宗教の遺産を共有している。その宗教は、高度な天文観測に包まれて、死後の魂の旅にはっきりと焦点を合わせている。エジプトで始まったものでも、メキシコで始まったものでもなく、一方から他方に伝わったのでもない。それぞれが第三の、まだ特定されていない文明から受け継いだのだ」
「ミシシッピ川流域の宗教・図像・シンボリズムが、古代エジプトのそれと驚くほど似ているという事実だ。このような深い構造的なつながりは、二つの文明の起源が非常に古い源泉から受け継いだものだと考えなければ説明できない」
そして、非常に古い源泉とは、高度に発達した「失われた文明」であり、その文明は約1万8000年前の地球に起こった壊滅的な大変動によって、この地上から消え去ったとしています。さらに、世界に伝わる伝承や、各地の遺跡に見られる極めて高度な建築技術を鑑みて、次のような推論を提示しているのです。
「私は、失われた文明がもっとも力を入れていたのは、現代の私たちが超能力(サイ)と呼んでいる能力だったと思う。人間の意識の力を強化し、集中することで、エネルギーの流れを操って物質をコントロールする能力だ。……サイ能力は常に人類の遺産の一部だったという可能性はないだろうか? 私たちの『黄金時代』の一部だったのではないか?……現代の私たちの科学が物質の領域において、極めて精巧かつ複雑な干渉や操作を可能にしているように、失われた文明の科学は精神の領域で、同じように効果的な干渉や操作をすることができたのではないだろうか」
非常に興味深い洞察です。ハンコックは、世界各地の遺跡に見え隠れしている情報のかけらを読み、自らの直観によってそのような推論に達したのかもしれません。ただ、それが、現代を生きる私たちにとってどのような意味があるのかまでは、明示されていません。
そして、その解答は、実は、高橋佳子著『ディスカバリー』のイントロダクションで明かされています。一部ご紹介します。
「今から1万5000年ほど前。現代人の『創り出すはたらき』とは異なった《創造の秘儀》を手にしていた人々がありました。彼らは今日私たちが知る創造の方法とは全く違う創造の技を営んでいたのです。現代に至るまで、その時代、その場所はアトランティスと呼ばれてきました。
その時代、私たち人類は、創造という営みに関して、その発達の一つの頂点を迎えていました。そこでは、私たちの内と外、精神と現象、空と色は、不二一体に密接した実体として存在していたのです。
例えば、彼らは、自分の中にある魂のエネルギーを直接外の事物に作用させて現わすことができました。また、言葉という手段を用いずに、心と心を直接交わし合う意思伝達の力を持っていました。
記憶のあり方も、現代とは全く異なっていました。私たちは、紙や磁気テ-プ、感光フィルム等を使い、記憶を外在化することによってある場所に生じた事件の記録を残そうとします。しかし彼らは、いわばその場所に残されている気を直接感じ取って、かつてその場所で生じたことを再生することができたのです。
念動力や透視力など、今日いわゆる超能力として扱われているはたらきも、彼らにとっては通常の能力の一つに過ぎませんでした。……
太古の時代を生きた彼らは、今日を遥かに凌駕する内智を引き出しながら、しかし、その一方で人間の心の中に内在する《光》と《闇》の問題について、あまりに軽率な態度を示してしまっていたのです。十分な吟味もなく、ただただ人間の精神に内在する創造のエネルギーに慢心し、その力を発揮することを謳歌していたのです。その結果として、内にある闇は外に現われ、その闇が世界を覆い、その文明は破滅の末路を導いてしまいました。
人々はこの過ちに対して、言い知れぬ後悔を抱きました。その打撃は、後悔というような言葉で表現することができる実体を遥かに超えていました。挫折感、無力感、悲しみ、怒り、葛藤、懺悔、義憤、憤慨、自責……、後悔という情動に通じるこの世界にあるあらゆる言葉を集めてもなお、この時に人類が抱いたその心情に肉薄することは叶わないほどに、そこに強い「悔い」の情動が生まれたのです。
それと共に、人類は、私たちの内側にある創造の力を封印しました。それは、不本意な選択であったかも知れませんが、その後悔を引き受けるためには、その道しか残されていなかったのです。
それ以降、内なる創造の叡智が閉ざされた人類は、外の世界にある物質の力の解放に、無意識にも創造の秘儀の証を求めました。そしてその態度は、何千年という期間にわたり貫かれ、今日を迎えています。
なぜ、私たち現代人が、これほどまでに内界に対してリアリティを抱くことができないのか──。内と外のつながりの現実に心を閉ざすのか──。その理由の源は、このように、遥か1万5000年前の人類が抱いた後悔にまで遡ることができるのです。……
かつて古代の人類が、内なるエネルギーに対する安易な過信によって滅びたとするならば、20世紀末の私たちは、逆に外なる世界への過信、内なる実在の軽視により、存亡の危機を迎えているとは言えないでしょうか。……
遥かな時、私たち人類は、私たちの中にあるもう1つの創造の力を封印してきました。しかし、もう十分です。私たち人類は、その封印を解くべき時を迎えているのではないでしょうか。そして、もうそのことを許されるだけ、人類は十分な自戒の時を送ってきたと言ってもよいでしょう。
21世紀へ向かう私たちは、今ようやく、この「かつての人類が抱いた後悔を生き直すことができる時代」を迎えたのです。1万5000年の間、待ち続けたもう1つの力の真の解放へ向けて、再び挑戦する時がやってきたのです。……」(『ディスカバリー』より)
なぜ今、精神世界と現実世界を1つにつなぐ「魂の学」が説かれているのか。
なぜ今、私たちは、その「魂の学」によってゴールデンパスを開こうとしているのか。
その理由と必然は、遙か1万5000年前の人類の後悔と願いに遡ることができる──。言葉にならない想いがあふれてなりません。
(編集部N)
『ゴールデンパス──絶体絶命の中に開かれる奇跡の道』(高橋佳子・著)
四六判並製 定価 1,980円(税込)