8月24日(火)、東京パラリンピックが開幕します。
障がい者を対象とした世界最高峰のスポーツ競技大会であるパラリンピック――。
その本質は、健常者のオリンピックと何ら変わるところはありません。身体的なハンディをものともせず、限りを超えた人間の可能性を見せてくれるパラリンピックアスリートたちの姿は、私たちに強い勇気と力を与えてくれます。
しかし、日頃、心のどこかで、「健常者」「障がい者」という区分けをして、別々に考えている私たちもいるように思います。でも、本当にそうでしょうか。
人は、この世に生まれてくれば、誰もが3つの「ち」(血=両親や家族から流れ込む価値観・生き方、地=地域や業界から流れ込む慣習・前提、知=時代から流れ込む常識・価値観)を背負い、心は4つの闇(快・暴流、苦・暴流、苦・衰退、快・衰退)に覆われ、内なる魂の可能性は閉ざされてしまいます。
魂の次元から見れば、まるで手枷足枷をはめられたように自由を奪われたまま生きている私たち――。その意味では、誰もが「障がい者」と言えるのではないでしょうか。
しかし、それらの手枷足枷は、この世界を生きる「条件」です。
障がい、マイナスがあるからこそ、人は「なぜ?」とその意味を問い、より本質的に、より深く生きることができる――。
ささやかな体験ですが、私自身、障がい者の認定は受けてはいないものの、脳梗塞の後遺症と日々向き合い、リハビリに努めています。確かに、つらく不自由なところはありますが、後遺症があるからこそ、日々、「魂―心―身体」のつながりを忘れることなく想い続け、生かされている時間が限られていることを思い出すことができるように感じます。
パラリンピックのアスリートたちは、それぞれの障がい(条件)をはるかに深く受けとめ、健常者の想像を超えた世界を体験しているに違いありません。
パラリンピック4大会連続出場を果たした浦田理恵選手(ゴールボール)は、「目が見えなくなって、目に見えない大切なものを知ることができた」「ハンディがあるからこそ体験できることがある」と語っています。
明日からのパラリンピックの期間、障がいを条件として、自己ベストをめざし、世界の頂点を競い合う彼らの姿に、自分自身を重ね合わせながら、魂が背負った条件を見つめ、それを超え出る生き方に想いを馳せてみたいと思いました。
(編集部N)
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