東日本大震災から10年目を迎えた先日、震災とその後のことを調べた当時の資料を整理していると、ふと『呼び覚まされる霊性の震災学 3.11生と死のはざまで』(新曜社)という本が目にとまりました。
当時も何度か目を通した本ですが、その中に、被災地のタクシードライバーに聞き取り調査をした報告が記されています。
たとえば、50代の男性の話(震災3年後のインタビュー)。
「震災から3カ月くらいかな。初夏だったよ。いつだかの深夜に石巻駅あたりでお客さんを待っていたら、真冬みたいなふっかふかのコートを着た女性が乗ってきてね……」
目的地を尋ねると、「南浜まで」と返答。ドライバーは不審に思い、「あそこはもうほとんど更地ですけどかまいませんか? どうして南浜まで? コートは暑くないですか?」と尋ねると、「私は死んだのですか?」と震えた声で答えたため、驚いたドライバーが「え?」と後部座席に目をやると、そこには誰も座っていなかった──。
ドライバーは、怖くてしばらくその場から動けなかったそうですが、「でも、今となっちゃ別に不思議なことじゃないな。東日本大震災でたくさんの人が亡くなったじゃない? この世に未練がある人だっていて当然だもの。……今はもう恐怖心なんてものはないね。また同じように季節外れの冬服を着た人がタクシーを待っていることがあっても乗せるし、普通のお客さんと同じ扱いをするよ」と微笑んで語ったそうです(ちなみにこのドライバーは震災で娘を亡くしたとのこと)。
また、ある40代の男性ドライバーの話(震災3年後のインタビュー)。
2013年8月の深夜、タクシー巡回中に手を挙げている人がいたので車を歩道につけると、小さな小学生くらいの女の子が季節外れのコート、帽子、マフラー、ブーツの姿で立っていた。深夜だったので、とても不審に思い、「お嬢さん、お父さんとお母さんは?」と尋ねると、女の子は「ひとりぼっちなの」。迷子だと思ったドライバーは、「家まで送ろう」と言って場所を聞き、その付近まで乗せてゆくと、女の子は「おじちゃん、ありがとう」と言ってタクシーを降り、その瞬間、突如姿を消してしまった──。
明らかに人間だったので、ドライバーは恐怖と驚きと不思議でいっぱいだったそうです。
しかし、「今では、お母さんとお父さんに会いに来たんだろうな~って思っている。私だけの秘密だよ」と、どこか悲しげで、でも確かにうれしそうな表情で語ったとのことです。
これらは決して稀な話ではなく、震災後の被災地では、こうした体験を語る人が多くいたと言います。
そして、聞き取り調査の際、調査員が見えない存在のことを「幽霊」と言うと、「そんなふうに言うんじゃない!」と怒るドライバーが何人もいたとのこと。それは幽霊という言葉が示すような単なる怪奇現象ではなかった。
「ドライバーの方々に共通していたのは、驚きと悲しみとともに、亡くなった魂を尊い存在として受けとめる感情、畏敬の念だった」「人間の秘められた高次の感情である『霊性』を、知識や概念としてではなく感覚的に『わかる』境地に、震災の当事者たちは到達している。……狭量な因果関係による科学的説明では捉えきれない、もっと深い宗教性まで降り立った死生観が、被災地の現場では求められている」と記されています。
しかし、その宗教性は、被災地のみならず、すべての人に求められているもの──。
『ゴールデンパス』の著者はこのように語っています。
「宇宙と自然、人生、心と魂、それらすべてを貫く法則・摂理を『魂の学』では神理と呼ぶのも、そのような、つながりの総体である大いなる存在を前提にしているからです。
私たち日本人は、大いなる存在に対して変わらぬ姿勢を保ってきました。
『お天道様が見ている』『お陰様』といった言葉は、宇宙・自然と、そこにある人間も含めた森羅万象に対する畏敬から生まれたものです。
このような畏敬の念こそ、どんな宗教を信仰していても、またしていなくても、人間が失ってはならない普遍的な宗教性でしょう。私は、それこそ、ゴールデンパスを求める21世紀の時代精神の基になければならないものだと思っています」(『ゴールデンパス』P66)
(編集部N)
『ゴールデンパス──絶体絶命の中に開かれる奇跡の道』(高橋佳子・著)
四六判並製 定価 1,980円(税込)