三宝出版株式会社 三宝出版は、高橋佳子の書籍を出版しています。
本書のタイトルは、「最高の人生のつくり方」です。
あなたは、「最高」という文字を目にして、どんな気持ちを抱かれたでしょうか。
ちまたには、「最高」があふれています。
電車に乗って中吊り広告を眺めれば、どこかに1つは「最高」の文字を見出すことができるでしょう。
最高の品質、最高の使い心地、最高の性能、最高の保障……。最高でない商品を見出すことの方が、最高の商品を見つけることよりも困難なほどです。
仕事や生活に関わる最高だって、負けていません。
最高のリーダー、最高のマネジメント、最高の子育てから始まり、最高の教育、最高の結婚、最高の老後、さらには最高の睡眠や最高の呼吸法、最高の飲み方なんていうのもあります。
世の中は「最高」のオンパレード──。
「最高」は、年中無休の大安売り、大バーゲンと言っても過言ではありません。
しかし、現実の世界に目を向ければどうでしょう。
たとえば、事業に成功し、巨万の富を手に入れた起業家の中には、私たちの日常とはかけ離れた豪勢な生活を送る人たちがいます。
その生活を「最高の人生」と呼ぶなら、それは、ほんの一握りの人たちの独占物でしかありません。
ごく普通の私には、どこを探したって「最高の人生」なんて見当たらない。
自分の人生には、はなから無縁のもの──。
「最高の人生」という言葉を耳にするとき、多くの人が感じるのは、手放しの共感というよりもむしろ、少しばかりの反感なのではないでしょうか。
それは、私たちの社会を眺めれば、決して不思議なことではないのです。
ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われていたのは遠い昔──。今、日本の相対的貧困率(国民の所得格差を示す指標)はOECD諸国中第6位、1人親世帯の場合は第1位という不名誉な事態です。
かつて日本の活力の源は、「1億総中流」とも言われた一体感でした。
多くの人が中流意識を持ち、幸福であると感じられる社会だったのです。しかし今、その一体感は崩壊しています。何十億という給与を得る人がいる一方で、日々の暮らしにも困るような最低賃金に甘んじる人もいる。普通のサラリーマンとその家族が貧困層に呑み込まれる可能性も少なくないと言われています。
人口減少の問題も、未来に暗い影を落としています。わが国の人口は2015年に初めて減少に転じ、2025年にピークを迎える東京都の人口もその後減少、2033年には全国の住戸の3戸に1戸が空き家になり、2040年には現在の全自治体の約半数が消滅する恐れがある(消滅可能性都市)とされています(国立社会保障・人口問題研究所による推計)。
そうでなくても高齢化社会の先端を走ってきたわが国は、若年層の減少によって超高齢化が先鋭化し、あと50年足らずで現役世代1人が高齢者1人を支えなければならない極限の時代が到来するのです。
私たちが今、向き合わなければならないのは、「最高」とはほど遠い、暗く重い現実です。
これからの時代を担う若い世代はどうでしょうか。
2013年に実施された、人生の幸福感に関する1つの調査があります(図1)。
「あなたが100歳まで生きるとしたら、何歳のときがもっとも幸せだったか」(電通こころラボ)
その年齢を答えてもらうアンケート調査です。自分の年齢よりも高い数字を言えば、「未来にもっといい時期がやってくる」と考えていることになり、年齢より小さい数字を言えば、「過去の方がよかった」と感じていることになります。
図1がその結果です。年齢が若くなるほど、未来──これから先のどこかに1番よいときが来ると感じている。逆に、年齢が高くなるにつれて、1番よいときは、過去になってゆく。
その未来と過去が交わるのは、およそ40歳。多くの人は40歳になるまでは、「未来にもっとよいときが来る」と思い、40歳を過ぎると、「過去の方がよかった」と思い始める。つまり、40歳を超える頃から、人々は未来に対する希望をもてなくなるということなのです。
しかし、どうでしょうか。希望を抱いているはずの若者の状況は、必ずしもそうなっていないのです。
今、海外に留学するわが国の学生が減少していることに危機感を抱いている教育者は少なくありません。かつて、欧米の1流大学で世界最先端の学問を学ぼうとする学生は跡を絶ちませんでした。ところが近年、そうした留学生が激減している。「社会のために新しい学問を身につけて貢献したい」という高い志をもつ学生がめっきり少なくなっているのです。
実際、こんな調査もあります。
新たに社会人となって働き始めた新入社員が、「働くこと」に対してどんな価値観をもっているのかという調査(2018年、日本生産性本部他による)では、「働き方は人並みで十分」(61.1%)、「好んで苦労することはない」(34.1%)と答えた人の割合が1969年の調査開始以来、過去最高を記録したといいます。
それも、若い人々が、未来に対する強い希望を抱けなくなっていることの現れなのではないでしょうか。それどころか、先に触れた収入の格差によって、結婚を望むことすら困難な若者もいるのです。
希望、夢、志、願い……あふれる情熱や意欲の爆発を伴う若い世代の特質が、真っ先に失われ始めている──。わが国の将来はいったいどうなってしまうのでしょう。
私たちの周囲にあるのは、暗く重い現実、黄昏・退潮を思わせる傾向ばかり──。
それなのに、どうして「最高の人生のつくり方」などと言えるのか。そもそも、そんなことを考えるべき時なのか。それは、あまりの現実無視か、脳天気な主張としか思えないと言う人もいるでしょう。
けれども、決してそうではないのです。
見れば見るほど絶望的な状況にあるからこそ、私は「最高の人生」ということを思わずにはいられないのです。
なぜなら、希望など見出すことも困難な重荷を背負う中から、すべてにNOが突きつけられた身動き1つ取れない状況から、考えられないような輝かしい人生を引き出して生きている多くの方たちと、私は出会ってきたからです。
実際、私は、これまでの著書の中で、それらの方々の人生に触れてきました。そこに示されているのは、たとえどれほど厳しい現実があっても、人間には、そこから驚くべき可能性に満ちた人生を生み出す力があるという真実です。
たとえば、『未来は変えられる!』(三宝出版)の1章で紹介した広島県在住の主婦、大山敏恵さん。ある日、体調不良で突然意識を失い、駅のホームから転落。電車に轢かれ、あわや失血死かという状況の中、九死に一生を得たものの、左足を切断。以来、不自由な生活を余儀なくされました。その試練は、彼女にとって、人生のすべてを破壊してしまうほどの衝撃だったに違いありません。
しかし、すでに私と会って「魂の学」(50ページ参照)を実践していた大山さんは、その事態を「人生への呼びかけ」と受けとめます。「今まで自分は何度も呼びかけを受けてきたのに、それに本当には応えてこなかった。これは、新たな人生を生きなさいという促しなんだ」と覚悟。
もともと大山さんは、何かと自らを卑下し、引っ込み思案で消極的な、いわばどこにでもいる普通の主婦に過ぎませんでした。ところが、この事件をきっかけに、その人生は大きく転換していったのです。
自ら進んで人に関わり、ものごとに積極的に取り組み、苦手だった運動にも挑戦。何と障がい者の全国競技大会で活躍するようになり、金メダルまで取ってしまう新しい人生を切り開いたのです。
大山さんについて、ご家族は口を揃えてこう言われています。
「外見は同じ人間ですが、中身はまったくの別人です」
その変貌がどれほどのものであるかがわかるでしょう。
また、東日本大震災によって、突然、最愛の妻と仕事、多くの友人・知人を失い、奈落の底に突き落とされた佐々木一義さん(『運命の逆転』三宝出版、プロローグで紹介)。
行方不明の妻を捜して遺体安置所を訪ね歩いた1カ月、「もう今日が最後」と思い定めた安置所で再会したとき、「なんだ、ここにいたのか……」と言って亡骸を抱きしめた佐々木さん──。
佐々木さんは、震災当日の夜、妻と連絡がつかず、絶望的になっていたとき、暗闇の底から見上げた星々の光に、妻の魂の行方を直感しました。その直後のある集いで、私が、震災で亡くなった魂が夜空に上ってゆき、星々のように家族を見守っているとお話ししたとき、言葉にならない、見えないつながりの実在を確信しました。
もう1度、見えない妻とつながり、傷ついた世界とつながって、生きる希望を取り戻したのです。
佐々木さんは、壊滅的な被害を受けた地元の陸前高田のために、何かをせずにいられないと立ち上がり、被災直後から、自ら渋滞する交差点に立って交通整理を始めました。
さらに、その経験から、それまで興味も関心もなかった政治家を志すことになります。市議会議員選挙告示日の直前に出馬を決意、友人たちの応援もあってトップ当選。佐々木さんは今、市民と共に日夜、地元のために尽くしています。
そして、生まれた直後の高熱の病のために聴力を失い、以来、耳が聞こえない人生を歩んできた松橋英司さん(『運命の逆転』4章で紹介)。
障がい者への暗黙の差別と、「治るかもしれない」という叶わぬ期待の中で、人生に心を閉ざしかけました。「聞こえるようになれば、人生はすべてバラ色」という想いに振り回され、熱心に支えてくれた母親とも断絶──。
しかし、心優しい奥様と共に「魂の学」に出会い、すべてを条件として使命を生きる人生を学び始めました。そして、いかなる人生の条件であろうと、それを逆転できる。そればかりか、その条件を抱いたからこそ、より深く人生を生きる道があることを確信するに至るのです。
「耳が聞こえないということが不幸なのではない。そう思う心が不幸なのだ」
松橋さんは、その心境を抱いて、歯科技工士として働きながら、障がい者だからこそ応えることができるミッションを探し始めます。
あるとき、私が「松橋さんは、皆さんの前でお話をすることだってできますよ」と言うと、松橋さんは驚きを隠しませんでした。けれども、やがて各地で自らの人生について講演するようになったのです。
耳の聞こえない人が講演をする──。聴覚障がいを抱えた方々にとって、それがどれほどあり得ないことなのか。しかし、どんな挑戦もできることを身をもって示した松橋さんは、多くの方々に生きる勇気を与えています。
さらに、父親が経営する山形の郵便局で起きた悲劇を目の当たりにした折原清右衛門さん。家族のように親しかった局員たちが戦後の労働争議で豹変。仲間に裏切られ、絶望した父親は、首をつって自殺。その父の姿を発見し、自らが骸を下ろすという凄まじい経験をしたのが、若き折原さんでした。その人生は、まるで呪いをかけられたかのように、忌むべき事態が続いてゆきます。
折原さんの人生に暗い影を落としたのは、病という試練です。父親を追い詰めた人たちへの恨みと憎しみの中で、肉親を次々にがんで失ってゆきます。ようやく落ち着きを取り戻したと思ったとき、今度は自らががんに冒され、絶望の底に沈みました。まだ40歳でした。
けれども、その暗闇の中で「魂の学」と出会い、人生の見方が180度変わってしまいます。
「これまでの試練は、すべて自らの魂の成長の糧だった」
晴れ晴れとした気持ちで人生を歩み直し、50歳で東京の港白金台郵便局長に栄転。多くの人たちと信頼に満ちた関わりを結びました。
それからも折原さんは病とつき合い続け、7度もの手術を受けましたが、心の平安が揺らぐことはありませんでした。
そして晩年、病床にありながらも、ベッドの上で次々に訪れる知人の相談に乗って力になり、人生の終わりのとき、家族に囲まれながら、「俺の人生に乾杯してくれ!」と朗らかに杯を掲げ、75年の人生を卒業していったのです。
4人の人生を襲ったもの──。それは、事故、災害、障がい、病気でした。これらは、誰もがもっとも避けたい4大災厄と言っても過言ではありません。これらに見舞われたら「人生最悪」──。きっとそう叫びたくなるでしょう。
しかし、驚くべきことに、これらの方々は、「最悪」から「最高」の人生を引き出してしまったのです。いったい何が起こったのでしょうか。
私たちは「最高の人生」と聞くと、「現在の人生とは別の人生が、私たちの知らないどこかに存在している」と考えがちです。
今の私の人生はバツ。それをリセットして、別の人生に乗り換える。
そうでもしなければ、「最高の人生」など生まれようがない──。
どこかで、そう思ってはいないでしょうか。
しかし、今、紹介した方々の「最高の人生」は、まったく違います。
彼らは、「それまで生きてきた人生」、そして「今ここにある人生」に深く根ざし、そこから大いなる挑戦に向かっていったのです。
この方々は、別の人生を探し当てたのではありません。
そうではなく、今ある人生の中に眠っている最高の可能性を結晶化させたのです。
1人ひとりが引き受けた人生の条件は、事故であり、災害であり、障がいであり、病気でした。それらの運命の引き受け方、転換のさせ方には、「そんな道があったのか!?」と、誰をも唸らせる驚きに満ちています。
その一方で、転換後の人生を知ったならば、「それ以外の形はなかっただろう」と深く納得せざるを得ない必然を抱いているのです。それは、ただ見事と言うほかありません。
……
国際沖縄剛柔流空手道連盟最高師範を務める東恩納盛男さん。世界63カ国20数万人の弟子を持ち、各国で精力的に指導している。世界の頂点に立つ最高師範として、身体と心の鍛錬を究めてきた東恩納さんだが、著者と出会って初めて魂の次元に真剣に目を向けることになった。
松任谷由実、ケツメイシ、森山直太朗など、多くのアーティストのコンサートを企画制作する株式会社ハンズオン・エンタティメントの社長、菊地哲榮さん。かつて「傲慢、勝手。それで文句あるか!」と豪語していた菊池さんは、幼い長男の死によって、それまで想像もしなかった人とのつながり方に目覚めていった。
環境科学の先駆者として、ダイオキシン研究をはじめ、日本と世界各地の環境問題に取り組んできた脇本忠明さん(愛媛大学名誉教授)。その脇本さんから新しいゴミ焼却炉の計画の説明を聞き、その本来の青写真実現のために、必要な視点や考え方を伝授してゆく著者。長年にわたって著者の導きを受けてきた脇本さんは、単なる学者から、社会にはたらきかける研究者に変貌していった。
再々開発後の小樽駅前第3ビルの前に立つ浅村公二さん(左)。その再々開発は文字通り「奇跡の物語」だった。その後、浅村さんは、国土交通省からの依頼で自ら成し遂げた再々開発の事例を発表し、その体験と知見を多くの方々に伝えてきた。残る第1ビル、第2ビルの開発も、小樽市を愛する浅村さんにとってかけがえのないミッションワークにほかならない。
山梨県で半導体製造機器販売会社ハーモテックの社長を務める岩坂斉さんは、かつての下請け会社から独自の新技術を開発し、さらに化粧品業界や食品業界への展開に挑戦している。「自らの心の弱点を克服し、新たな境地と智慧を得る」という見えない歩みがそのすべてを支えていた。
金沢の400年の歴史を持つ老舗菓子店「森八」の女将、中宮紀伊子さん。60億の負債という巨大な問題を解決した後、中宮さんの前に立ち現れたのは、社員との協働という問題だった。しかし、そのカオスを、中宮さんは自らの心の変革によって見事に乗り越え、今、さらに新たなテーマに挑戦している。
検事、裁判官を経て、弁護士になった奥田保さんがたどり着いたテーマは「再生の法務」だった。いかなる運命を背負おうと、もう1度新たな人間として生まれ直すこと。その願いは、法務の仲間たちによって今も引き継がれている。
愛知県議会議員の中村友美さんは、女性初の議員団団長を務めたほか、公共施設に授乳室やオムツ交換室の設置し、愛知県男女共同参画推進条例の制定に尽力し、スクールソーシャルワーカー制度など、様々な制度の確立に努めてきた。高校2年のときに初めて講演会に参加し、その20数年後に「魂の学」を学び始めた中村さんは、今、「存在の問い」に応え、「最高の人生」を生き始めている。
著者プロフィール
現代社会が抱える様々な課題の根本に、人間が永遠の生命としての「魂の原点」を見失った存在の空洞化があると説き、その原点回復を導く新たな人間観・世界観を「魂の学」として集成。誰もが、日々の生活の中でその道を歩めるように、実践の原則と手法を体系化している。現在、「魂の学」の実践団体GLAを主宰し、講義や個人指導は年間300回以上に及ぶ。あらゆる世代・職業の人々の人生に寄り添い、導くとともに、日本と世界の未来を見すえて、経営・医療・教育・法務・芸術など、様々な分野の専門家への指導にもあたる。魂の次元から現実の問題を捉える卓越した対話指導は、まさに「人生と仕事の総合コンサルタント」として、各方面から絶大な信頼が寄せられている。1992年から一般に向けて各地で開催する講演会には、これまでに延べ130万人を超える人々が参加。主著に『最高の人生のつくり方』『あなたがそこで生きる理由』『運命の逆転』『未来は変えられる!』『1億総自己ベストの時代』『希望の王国』『魂の発見』『新・祈りのみち』(以上、三宝出版)ほか多数。
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